大手のデパートのほとんどは一九三〇年代や四〇年代に、多かれ少なかれ客の審査をした後に、それぞれ「チャージカード」を導入した。
中でもニューヨークのB・アルトマン社は一番、審査が厳しいと考えられていた。
B・アルトマンのカードを示した客は、町のどの店からもクレジットカードを出してもらえた(ダラスでは、ニーマン・マーカスがそれにあたる)。
このカードが、店のマーケティング戦略の一部で、店にとって都合のいいしろものにすぎない場合もあった。
消費者は毎月の請求が来れば全額支払うものと予想され、それなら延滞利子が付くことはない。
それ以外のリPピング・クレジット場合、カードは「回転信用」を意味していた。
いずれの場合も、残った「債権」は取引先の銀行が払い、店自体は仲介機関として、返済を保証するのである。
ほかに目を向けると、一番力のあったカードはエア・トラベル・カードで、これは航空会社が、四二五ドル預金した企業に発行するものだが、一九五〇年代には四二五ドルといえば大金だった。
ガソリン会社は、ガソリン・スタンドでだけ使えるカードを発行した。
スタンドのオーナーは、その債権を次に配達されるガソリンの代金支払いに使うのである。
J・C・ペニーのカタログ通販部門は、通信販売の客に信用を提供した。
J・K・ガルプレイス(ピューリタニズムを、少なくとも他人については認めている)からジョセフ・ノセラ(ピューリタニズムを認めない)まで、およそ社会批評家は、米国人は借金嫌いだとよく言う。
実際には、我が国の歴史で銀行が大きく成長したことで、また破産法が比較的寛大なのでも証明されているように、世界のどこよりも北米では借金が容易になっている。
ヘンリー・ワリツクは、連銀の理事だった頃、米国ではヨーロッパやアジアとは違って、世帯主自身が金融仲介機関の役目を果たしているという見解を、好んで披露していた。
つまり、ミューチユアルファンドや貯蓄用の債券、それに預金を持つ一方で、自宅の重い住宅ローンを抱え、しかもクレジットカードの発行銀行の口座に余分な現金があれば、そのカードで買い物をすることもある。
さらに、米国の消費者は、信用リスクとしても優秀だった。
あの大恐慌の最悪の時に、消費者ローンは利子収入を上回る信用損を抱えたことは一度もなく、景気が回復すると、人々は窓口に昔の借金を返しに来たのである。
J・ムーアは、自分も賛成だと言いながら、シティバンクの消費者金融事業をスタートさせたロジャー・ステファンの言葉を紹介してくれた。
「事務員の方が上司より信用リスクは低く、その上司も、自分が働いている会社より信用リスクが低い」。
バンク・オブ・ニューヨークはAFーCー〇(米国労働総同盟産業別組合会議)と「共同ブランド」の、組合員しか使えないクレジットカードを持っているが、一九九六年六月のカードの信用残高は三四億ドルだった。
同行のCEO、J・ベイコットによれば、「我が行の最高のクレジット客だ。
貸し倒れはほとんどない」そうだ。
AFーCー〇との契約が更新期を迎えた一九九六年、バンク・オブ・ニューヨークは本業よりも個人向け金融の方の利益が上回った。
推計で利益は最高三億七五〇〇万ドルに及び、うち組合は九四〇〇万ドルを獲得、一九六六年の選挙の選挙資金を賄って、なお余りがあった。
議会は、望まれもしないのにクレジットカードを消費者に送り付けることを禁止しなければならなかった。
買い物の代金を払わない連中のせいで銀行が損をするからではなく、カードを盗んだ泥棒がそれを使い、本来、受け取るはずの人の信用が台なしになるからだ。
現在でも、表向きには滞納を嘆く声がかまびすしく、また、無遠慮なクレジットのたたき売り屋(そのいくらかは銀行)が、現金と引き換えられる小切手入りの、心理テスト済みの「カード切り替え」お薦め状を長年にわたって送り続けているにもかかわらず、一部の破れかぶれの銀行を除けば、ほとんどの銀行でクレジットカードの取り消し率は全体の四%である。
信用を与える側にとって、これは安全なビジネスなのだ。
クレジットカード債権に資金を融通する手段として当たり前になってきているのが、証券化である。
銀行は消費者の大量の支払い残高をひとまとめにし、手形を金融市場で額面より多少安値で(少々の価値の減少を許して)売る。
外部の保証人が、その手形の買い手に支払いを保証する安い証書を銀行宛に発行し、またロケット科学者が、手形をいくつかに分割して別々の時期に支払いデリパティプができるような派生商品を発明し、すべてが時計のように正確に回って行くのである。
多数の店で使えるクレジットカードはダイナース・クラブが最初だ。
レストラン用のカードで、信用貸しにも銀行業にも経験のない、ニューヨークのあるビジネスマンと顧問弁護士が一九四九年に始めた(一般に言われている話では、そのビジネスマンがレストランで勘定を払おうとして現金が足りないのに気付いた時、クレジットカードを思いついたことになっている。
だが、事情通によれば、他人名義のエア・トラベル・カードで飛行機の切符が買えるという特権に人々が金を払うことが分かったことから、このカードが生まれたそうだ)。
もともとダイナースは、五〇〇〇人の販売マネジャーのリストの中から、自分が娯楽に使った金額の記録を欲しいという者を募集して作られたクラブだ。
クラブの経費は、利用したレストランが五%から一〇%の手数料を払うことで、すべて賄われ、それと引き換えにレストランの方には、会員が請求金額を払ってから約一カ月後の振り込みが保証された。
当初、こういう類の「クラブ」が有効なマーケティングの材料になることや、極めてわずかな費用でレストランの売り上げが増えるため、思ったほどの負担にならないことを認識している、ものの分かったレストランは、少数派だった。
だが、ダイン・アンド・サインという名のよく似た素人の事業がダイナースに加わったニューヨークとロサンゼルスでは、少数派といってもそれなりの大ききであった。
データ処理の機械がない初期の頃のレストランが抱えていた問題は、今や有名なダイナース・クラブ(現在は、シテイコープの子会社で、高級カードとして海外にも展開されている)でさえ、当時はペーパーヮークについて行けないということだった。
支払いは遅くなったが、カードに慣れた客が来るのをやめてしまうのでは、という恐れだけでレストランの加盟は続いたのだった。
ダイナース・クラブが収益を上げ始めたのは、ようやく一九五四年で、この年、カード所有者には五ドルの会費が割り当てられた。
E社は、クレジットカードでトラベラーズ・チェックのフランチャイズが崩壊してしまうことを恐れ(当然、そうなった半世紀後に!)、一九五八年に独自の旅行・娯楽兼用(T&E)カードを発行した。
ダイナース・クラブより、少し高級なことを証明するために、会費は六ドルにして。
ニューヨーク市の市境から二四マイルのロング・アイランド、F・スクエアにあるF・ナショナル銀行が、入会すればロング・アイランドの多くのさまざまな屈で使える「ユニバーサル・カード」を最初に発行した。
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